こんにちは、麻夢です♪
先週、フラ~っと長崎県(雲仙方面)へ行ってみたら、緋寒桜がちょうど見頃を迎えていて、とーってもキレイでした (^^)♡
着々と春が近づいていますね!
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前回は、スピ戦記のお話をしました(↓)
流行病関連の記事が続いてますが、今回までご容赦くださいね☆
この流行病から、私にとっての大きな学びが2つありました。
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1つ目は、ヒーリングは(ヒーリングに限らず何でもそうだけど)その状況に最適なものを使い分けられるように、色んな方法を身につけておくべきだということです。
元々そう思ってはいましたが、今回のことでホントに痛感しました。
ヒーリングしたくても、瞑想するのが辛かったし、身体が痛くて動かせなかったし、声が潰れて出なかったし…という状況で、こうやって戦いました(↓)
声が出ない → ツキヨミノミコトエンパワメント(念じて繋がるだけ)→ 声が出た → ご真言(声に出して唱える)→ 身体の痛みがとれた → アルケミーハンドサージャリー(ハンドヒーリング)→ 症状全般が軽くなった →(結局しなかったけど、ホントはしたかった)シータヒーリング(瞑想が必要だけど、今の私には最強のツール)
最初に使うことになったツキヨミノミコトエンパワメントというエネルギーは、コロナ発症の10日ほど前に、別の目的でアチューンメントを受けたばかりでした。
その目的には訳あって使えなくて、じゃぁなぜ今のタイミングで受けることになったのかなぁと不思議に思っていたところ、まさかの自分自身に… f(^^;)
流行病とのスピバトル、このツキヨミノミコトエンパワメントを持っていなかったらたぶん、対処できなかったなぁと思います。
ツールは一つでも多く持っていた方が良いとつくづく感じました。
そして、受けたばかりのツキヨミノミコトエンパワメントのエネルギーがイマイチ弱くて…日々練習を繰り返すことの大切さも、再認識できました。
あと、今後の楽しみが見つかっちゃいました♪
今回は2回ほど、脳貧血(?)で卒倒しちゃったのですが、2回ともたまたま狭い場所だったので、バタン!ゴツン!グハッ!とかならずに済んだ(ズルズル…コテッだった)のですが f(^^;)
自分や誰かを瞬間的に、最悪の状況から守るためのツールは、今の私は持っていません。
そんな便利なツールが存在するのかさえ知りませんが、いつかそれを叶えるエネルギーとの出会いがあるといいな~なんて、ちょっとワクワクしています☆
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2つ目の学びは「自己犠牲」についてです。
今回の流行病の間、具合が悪くて瞑想できなくて、シータヒーリングが「自分には」使えませんでしたが、実は「母には」使っていました。
母は年末から入院中で、一時期はけっこうヤバいかもって状況で、私は度々、シータヒーリングで遠隔ヒーリングをしていたのですが…
私自身が流行病でダウンしている間も、何度もしました。
高熱で苦しくてとても瞑想できる状態ではなかった…のではなく、母と自分を天秤にかけて、自分を蔑ろにしたってことです。
つまり「自己犠牲」ってヤツです☆
私はただ、母に元気になってほしかっただけです。私のヒーリングがほんの少しでも役立つのなら、母のために頑張りたかった。私なんかより母の方が大変なんだから、母を助ける方が先だから…
結果、母の症状がどんどん回復して、本当に良かった。今の私は、この状況にとても満足しています。自分を蔑ろにしたこの判断は間違っていなかったはず!
でも…
想像のお話ですが…
もし、もしも、私の症状が急変して、生死の狭間を彷徨うことになってたら…
私はそれでも、自分を蔑ろにしたことを全く後悔しないでいられるのかしら?「母には絶対助かってほしい」心の底からの純粋な願いに、私の選択が「後悔」という濁りを入れてしまう可能性は、本当になかったのかしら? その濁りは恐らく、願いを妨げるエネルギーになってしまう…
考えれば考えるほど、とても怖くなりました。
自己犠牲が招くかもしれない恐ろしさに初めて気付き、愕然としました。
私は、母と自分を天秤にかけるのではなくて、
母のヒーリングをした後に、自分にもヒーリングをする、または、自分をヒーリングで整えてから、母のヒーリングをする、
両方とも同じように大切にするべきだったんですよね。
大切な人の為にはもちろんのこと、他者を助けるようなお仕事の人って、自分のことを後回しにしがちだと思います。
他者を助けたいと思い、行動することは、本当に素晴らしいことです!
でも「他者のために」と「自分を犠牲にして」は、似て見えるけど、全然違うみたいです。
その境目は、ちゃんと理解して守った方がいいと思います。
それは、未熟な私には難しいことだけど…
「もし絶対的危機に直面しても、絶対にその願いに濁りが入らないか」ってところが、今の私が自覚できる境目のようです。
現在、母は回復に向かっているし、私も日常生活に復帰できたし、まぁ…今回はラッキーなことに、結果オーライでした (T T)♡
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悔しいけど、くそコロナにむっちゃ学ばせていただきました。
きーっ o(-"-)o
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